神奈川県水産技術センター 内水面試験場
はじめに
丹沢山塊は神奈川県の水源として、また登山やキャンプ等の憩いの場として重要なエリアです。しかし、現在、丹沢山塊の自然環境は大きく変貌し、生態系の崩壊が進行しています。それは淡水魚の生息する渓流域においても、例外ではなく、多くの問題が生じています。
この地域における淡水魚の調査は、古くは1950年代から、ヤマメなどの内水面漁業の対象種について実施され、その分布や生態の一部が明らかにされましたが、魚類相についての詳細な報告や渓流魚の生態研究についての報告は限られています。しかし、前回の丹沢大山総合調査(相模湾海洋生物研究会,
1997)では、過去に例のない規模で魚類の分布調査が実施され、8科22種の淡水魚の生息を確認、ヤマメ(写真1)・アブラハヤ・イワナ(写真1)・カジカ・ウグイの5種の出現地点が多く、広く分布すること,出現魚類の流呈分布では最上流域にイワナ・ヤマメが生息し、カジカ・ウグイ・アブラハヤがこれに次ぎ、その他の魚種は主に山麓部にだけ生息すること、出現魚種は北丹沢と東丹沢で多く、西丹沢では少ないこと等が明らかにされました。また、現在の丹沢の魚類相に大きな影響を与える人為的な要因は、河川環境の改変による渓流魚の生息水域の減少、放流による自然分布の攪乱や在来個体群の衰退が考えられ、今後の対策として、人為的な改変の少ない渓流環境の積極的な保全、在来個体群の保護並びに現在行われている無秩序な魚類の放流に対する規制が望まれています。また、丹沢の河川環境のモニタリングにあたっては、カジカを指標種として用いることが有効とされています。
また、時期をほぼ同じくして県淡水魚増殖試験場(現在の水産技術センター内水面試験場、以下試験場)の調査が行われ、ヤマメ・カジカ等の分布と渓流環境を調査、その生息環境の悪化を指摘し、在来個体群の絶滅の危険性につての警鐘を鳴らしています(勝呂・中田,1995;勝呂・安藤,1996)。
![]() |
|
| 写真1 丹沢に生息する渓流魚 ヤマメ | イワナ |
このような状況から、県のレッドデータブック(勝呂・瀬能,2006)では、ヤマメ、アマゴおよびヤマトイワナについては絶滅危惧TA類、カジカについては絶滅危惧U類に分類されています。今回の丹沢大山総合調査では、単なる魚類分布調査に留まることなく、渓流魚の視点から問題点を抽出し、その対策を提言することに重点を置きました。まず、一つは生き物再生チームの共通課題である東西モニタリング・エリアにおける生物相調査です。荒廃の激しい東丹沢・中津川流域と比較的自然度が高く生態系が保全されている西丹沢・大又沢流域において魚類採集調査を実施し,魚類相と生息魚の生態について比較検討を行いました。渓流環境を多面的に捉えるため、同じ水生生物グループの水生昆虫・グループ,両生類・グループおよび藻類グループとの連携を重視し,同じ採集地点、あるいは同じ沢を調査水域として選定し,その結果を総合的に考察しました。
また、従来からその問題点が指摘されている人工構造物のうち、特に発電および上水用取水堰が魚類へ与える影響を調査するため、堰上下で魚類調査を行い、その結果を比較解析しました。さらに、丹沢在来のヤマメについて放流記録の調査、聞取り調査および採集調査を行ない、在来ヤマメの生息する可能性のあるエリアを特定した。加えて、代表的な丹沢の渓流魚、イワナ、ヤマメおよびカジカについてのDNA解析を行い、その系統の解明を行いました。最終的にこれらの調査結果を総括し、さらに水生生物グループの水生昆虫・両生類および水生藻類グループを含めた生き物再生チーム全体の調査結果も参考にして、丹沢の渓流魚復元のための提言を行いました。
なお、今回の調査主体である丹沢大山総合調査団・生きもの再生チーム・水生生物グループは、専門研究機関である内水面試験場、環境科学センター、日本大学生物資源科学部とNPO法人・神奈川ウォターネットワーク、特定非営利活動法人・かわさき自然調査団等の市民団体のメンバーにより編成されています。
![]() |
![]() |
| 魚類採集調査の様子 | 絶滅危惧種のカジカ |
2 渓流魚から見た東丹沢と西丹沢
生き物再生チームで設定した東西モニタリング・エリアにおいて魚類の採集調査を実施しました。東丹沢・中津川流域と西丹沢・大又沢流域の各8地点で,夏と秋にエレクトリック・フィッシャーにより採集を実施した結果(写真2)、東丹沢は西丹沢に比べて、出現魚種、総個体数、生息密度およびバイオマス等の数値が低い傾向がありました。特に西丹沢で多くの河川で出現したカジカ(写真3)は東丹沢では全く出現せず、コア・エリア内の押出ノ沢を含め、魚類が全く生息しない河川もあります。また,生息するヤマメの繁殖状況や肥満度も西丹沢より劣り,釣り人の利用が多い東丹沢中心部はヤマメの生息には適していないことが判明しました。
東丹沢のモニタリング・エリアには、急峻な河川が多く砂防堰堤の密度も高いので、魚類の生息域が分断されて移動ができません。魚類が一度堰堤から流下すると遡上できないので、上流から生息密度が減少します。こうした河川では遺伝的多様性が消失し、繁殖力の低下等により絶滅の危険性が高まります(Morita
and Kitano, 2002;Kitano and Shimazaki,1995)。また、堰堤の上流域では土砂の堆積により環境の多様性が低下して単調になり、底質は魚類が利用する浮石が埋まった水域が増えます。これらの影響により魚類の生息密度は低下し、今回調査した中津川水系の支流では、在来の魚類は絶滅し、放流魚だけが生息する水域が増えたものと推定されます。
また、周辺植生については、その河川の流量変動や降雨後の濁りの状況などが未調査なことから、詳細は不明ですが、流域の周辺植生の相違が、渓流環境に影響を与えている可能性があります。特に東丹沢に目立つ荒廃した人工林では、土壌が流出しやすく、また保水機能も広葉樹より低いことから、流量が不安定となり、降雨後に濁水が発生しやすい可能性があり、生息魚類への悪影響が懸念されます。東丹沢の塩水川、地獄沢,大洞沢等の底質はたくさんの泥が堆積し、魚類や水生昆虫が利用する礫石が埋まっているエリアが随所で見られました。これらの点から、水源林や周辺河畔林を保全して、濁りや土砂の堆積がない渓流域を創出することが、渓流魚には不可欠なことがわかります。
さらに渓流魚にとっては、直接河川と接する河畔林は餌の供給場所として重要です。今回、生息するヤマメの消化管内容物を調査したところ、9綱22目の生物が東西エリアで出現しました。陸生生物では、落下昆虫、水生生物では水生昆虫を主な餌として利用しています。陸生昆虫では、コウチュウ目、バッタ目、水生昆虫では、カゲロウ目、トビケラ目およびハエ目が目立ちました。開空度と消化管内容物を比較した結果、開空度が低く樹冠が樹木で覆われている場所(写真4)では、陸上生物の割合が高く、開空度が高く樹冠が開けている場所(写真5)では、水生生物の割合が高く、礫に固着した水生昆虫が多かった。東西エリアで消化管内容物を比較すると、西丹沢では出現目数が多く、さらに充満度も高いことがわかりました。このことからヤマメのエサとなる飼料生物も東丹沢は西丹沢より条件が悪く、魚体の肥満度や繁殖に影響しているものと推定されます。
![]() |
![]() |
| 開空度の低い法行沢 | 開空度の高い大又沢 |
藻類グループの調査結果では、付着藻類現存量は東丹沢も西丹沢も大差はなく、日本の河川の平均値より低い傾向があります。また、付着藻類の多様性は、東丹沢では渓流間で純率の差が大きく環境が渓流によって異なっています。東西丹沢を比較すると西丹沢の方が多様性は高く、群落構造の安定度が高いようです。また、水生昆虫においても東丹沢の河床が、はまり石が卓越する構造となり、そのために、特定の分類群の生息場所が失われた可能性が指摘され、さらに上位の分類群である魚類に対しても、悪影響を与えていることが示唆されました。
これらの結果から東丹沢が魚類の生息に適していない原因は、勾配が急峻なため砂防堰堤が多く河川環境が単調であること、森林の荒廃により土壌が流出し、魚類が隠れ場や繁殖に利用する浮石が少ないこと、周辺植生は人工林が多く、魚類の餌生物として重要な陸上昆虫が少ないこと等を挙げることができます。
両生類の調査結果では、ハコネサンショウオとヒダサンショウウオの分布は前回調査(山崎ほか、1997)よりも出現個体数が減少し、森林荒廃による悪影響が推定されました。東丹沢の中津川水系には貴重なヒダサンショウウオの生息地が残っていることが判明していますが、これは釣り場としては認識されない小河川であり,イワナ等の放流が行われていないことが幸いしています。聞き取り調査からも、多くの支流の源流域に、イワナの放流が行われていることがわかりました。最近はイワナがサンショウウオを食害する事例も報告されており(栃本、1996),丹沢の源流域の生態系を保全するためにも、これらの無秩序な放流は再検討する必要があります。これまで多くの漁協や釣り団体は、生態系へ配慮することなく、産業種の放流を実施してきました。言い換えれば「放流すれば、魚が増えて良く釣れる」というイメージだけが先行し、その利用面だけを重視して、無秩序な魚類放流が繰り返されました。その結果、他生物へ悪影響をおよぼすだけでなく、本来、利用すべき対象である渓流魚の在来個体群さえも絶滅の危機に追いやり、生態系のバランスが大きく崩れてしまっています。今後は、きちんとしたルールを作成して、自然環境へ配慮しながら持続的な利用方法を考える必要です。我々が知り得る範囲では、こうした環境への配慮の欠如は、単なる勘違いや知識不足が引き起こしたケースがほとんどです。多くの人々が目指している「丹沢の渓流域を保全・復元し、豊かな水域として再生させ、楽しく利用したい」という最終目標は、多くの釣り人の間に共通しています。今後の普及啓発や協議の場の設置等、行政の対応如何で大きな改善が期待できます。
3 堰堤と渓流魚
丹沢の渓流域では、取水と砂防および治山を目的とした多くの堰堤が存在します。最近、これらの人工構造物の魚類への影響についての研究が精力的に行われ、魚類の生息密度,繁殖,肥満度および遺伝的多様性などに与える影響が懸念されています(遠藤ほか,2006;北野ほか,2006)。本県でも前回総合調査や試験場調査などでは,渓流魚に対する人工構造物の悪影響を指摘していますが、丹沢周辺の取水堰が生息魚へ与える影響については、これまで詳細な調査は実施されていません。
![]() |
![]() |
| 発電用の大又沢ダム | 地獄沢の砂防堰堤 |
丹沢は都心からの利便性が良いため釣りや登山等の利用者が多く、これらの取水ダムが人目に触れる機会も多いエリアです。そのため、釣り人や自然保護団体などからは、砂防堰堤や取水堰が与える影響等について、試験場や各漁協などに多くの質問や意見が寄せられています。そこで、今回、各取水堰の上下においてエレクトリック・フィッシャーによる魚類調査を実施し、魚類相と生息魚の状態について比較検討を行いました。
その結果、大又ダム、大滝取水口および三保ダムでは,ダム上下で出現個体数や肥満度等に差があり,流域の生息魚には取水による影響が少なからず確認されました。大又ダムでは、ダム下流は上流よりカジカが激減し、ヤマメやカジカの成長や肥満度も低下しました。さらに繁殖状況を反映する稚魚も少なかった.大滝沢取水口下流では、生息する魚類が減少し、特に直下ではカジカは採集されませんでした。また取水口下ではヤマメの肥満度が低下しています.三保ダムの下流・河内川ではアーマー化が進行して河床の岩盤が露呈し、魚類の出現数も少なく、ウグイやカジカの肥満度が低い傾向があります。
他方、水ノ木沢取水口では唯一、堰下の出現個体数が多い結果でした。その原因は、遡上した魚が一時的にダム下に溜まっていたか、直下の大きな淵の存在が、関係している可能性があります。
藻類も西丹沢の大又沢ダム下流では種類数、優占種の構成から、上流の堰の影響を受けており、渓流生態系の基礎である藻類に既に変化が生じています。さらに、水生昆虫への影響も約1kmにわたって観察され、出現種数や生息個体数の密度が低下しました。これらの水生昆虫はヤマメやカジカの餌料として重要であり、その生物相の変化やバイオマスの低下は、魚類に直接影響することが容易に推定されます。実際、魚類についても大又ダムの下流では水生昆虫と同様に1km下流までカジカの出現個体数は少ない傾向があります。また、ダム上の千鳥橋とダム下の乙女岩ではヤマメの食性に変化が生じ、それが繁殖や肥満度の低下に繋がっている可能性が示唆されています。
現在の丹沢渓流域にある主要な発電用あるいは上水用の取水堰は、かなりの水量を取水してしまうので、堰直下はほとんど水が流れない状態になります。また、山麓周辺の各支流には、小規模な簡易水道の取水施設も多く存在します。
河川の流量低下は、生物の生息空間を減少させ、環境の多様性を低下させます。加えて渓流域で問題となるのは、水温の変化です。特に夏季において、流量低下による水温上昇は、特に高水温が苦手な渓流魚にとっては致命的です。最近では地球温暖化が進行しているため、この問題はさらに深刻です。
これらの現状を打破するためには、取水方法の再検討が必要である.特に夏季の河川流量を維持し,水温の上昇を防ぐ必要があります。加えて、カジカの産卵期である春やヤマメの産卵期である秋から冬にかけての流量の確保も繁殖の環境を整えるために重要です。これらの流量増加は抜本的な改善方法であるが、早急な対応が不可能な場合は、次善の策として、下流域に大きな淵を造成して伏流水を呼び込み、流量低下を緩衝させる措置や河畔林を積極的に造成して定着させ、夏の水温上昇を防止することも有効な手立てとなる可能性があります。
4 丹沢の渓流魚の在来系統群
丹沢に生息する主要な渓流魚は,現在はイワナ,ヤマメおよびカジカの3種です。しかし,これらの魚類のうち,産業種であるイワナとヤマメについては,各地で移植放流が行われたため,丹沢在来の系統群が絶滅の危機に瀕しています。今回、渓流魚3種について,集団遺伝学的手法により,丹沢個体群のハプロタイプを把握し、丹沢独自の個体群の検出を目的として、DNA分析を実施しました。その結果、イワナにおいては、遺伝子撹乱が進行し、在来個体群の検出が不可能でした。イワナと同程度に人為的放流が行われているヤマメも、その遺伝的撹乱の状況は、同様と推定されます.一方で、これまで産業や遊漁の対象としては、注目されていないカジカでは、丹沢固有の個体群が存在する可能性が示唆され、これらの保護は一刻の猶予も許さない状況です。
今回は絶滅が懸念されている丹沢の在来ヤマメについて,聞き取り調査と採集調査を実施しました。漁協と市民団体の放流実績と地元関係者等からの聞き取りにより、多くの河川の源流部までイワナやヤマメの放流が行われていることが判明しています。これらの放流魚の系統までは考慮していないので、入手しやすい業者から購入した他地域の魚や各地の系統が交じり合った長期継代飼育魚である場合がほとんどです。イワナは道志川在来のタイプであるヤマトイワナとは異なるタイプのニッコウイワナやエゾイワナが放流されています。ヤマメについても状況は同じで、ほかの地域から持ち込まれた養殖魚や業者の継代飼育魚が多く放流され、アマゴも放流されていることが判明しました。
さらに、在来ヤマメの採集調査では、相模川水系19河川、酒匂川水系24河川および花水川水系1河川の合計44河川でヤマメおよびアマゴの生息が確認されました。採集されたヤマメは、パーマークや朱点等の外部形態を解析し、聞き取り調査の情報や河川遡上阻害物を参考にして、在来個体群の生息河川を推定しました。その結果、相模川水系3河川、酒匂川水系2河川に在来個体群が生息する可能性が示唆されました。これらのヤマメは、体側の一部に朱班を持つタイプやパーマークが小さくて数が多いタイプ等,外部形態に特徴があります(写真8)。在来ヤマメの生息の可能性がある河川については、緊急な保全対策が必要です。
他方,イワナについては、在来の個体群についての詳細な調査ができませんでした。聞き取りから有望な道志川流域を中心に早急に調査を行い、保全についての基礎資料を得る必要があります。
![]() |
丹沢在来系統の可能性のあるヤマメ 酒匂川水系 |
![]() |
5 丹沢の渓流魚を復元するために
今回の調査結果から東丹沢のモニタリング・エリアは、砂防堰堤、周辺植生、森林荒廃による土壌の流出等、渓流魚の生息環境の悪化が明確化しました。今後は保全ではなく、むしろ渓流魚が生息する環境要因を復元し、生息地を復活させる必要があります。具体的な施策としては、東エリアに多い砂防堰堤の対策のため魚道(写真9)を設置したり、役割を終了した堰堤の一部を試験的に切り崩したり、新規の設置の際には透過型のタイプ(写真10)にする等、魚類の移動を復元することが重要です。山梨県でも冨士川水系・大柳川で砂防堰堤を試験的にスリット化したところ、水深や流速が多様化して底質も改善され、カジカの資源量が増大しました(加地,
2006)。本県においても周囲の状況を把握して、可能な水域からこれらの対策を検討していただきたいと思います。
また、周辺植生についても考える必要があります。まず水源林として重要な上流域を管理して、水量が安定し、濁りや土砂の堆積がない河川を復元することが、渓流魚に必要な河川環境です。加えて,渓流魚にとっては、直接,河川と接する河畔林も重要です。渓畔林が川を覆っている開空度が低い河川では,バッタや甲虫等,多くの陸生昆虫がヤマメに主食として利用されています。そこで昆虫など魚類のエサ生物の多様性と生息数を高めるため、周辺植生を本来の丹沢にあった広葉樹を中心とした渓畔林へと復元することも有効な手法となり得えます。近年、サケ科の魚類をとおして、森林と河川、あるいは海とのつながりで、生物間相互の関係が明らかにされています。本調査でも、森の昆虫類がヤマメの生活を支えることが証明されました。しかし、丹沢では、今でも、スギ・ヒノキといった針葉樹が植林されています。一般に、針葉樹は広葉樹に比較して植物食の昆虫の量が少ないことが指摘されており(Southwood,
1961)、調査や具現的な対策の検討も進んでいるので、今後は、渓流魚保全の立場からも、生物多様性を支える森林管理を提言したいと思います。
![]() |
![]() |
| 世附川に設置された魚道 | 透過性の砂防堰堤・タライ小屋沢 |
他方,西丹沢の大又沢水系では、自然度の高いエリアについては、現状の環境保全が最重要です。その上で大又ダムや大滝取水口等の取水堰や砂防堰堤については,東丹沢と同様に復元のスタンスが求められます。魚道の設置や砂防堰堤のスリット化により魚類の移動を復元すれば、現状でも良好な環境をさらに改善し,生物多様性や生息密度を向上させることができます。絶滅危惧種となってしまった在来のヤマメやカジカを今、西丹沢で保全できなければ,近い将来,県内から姿を消してしまう可能性さえあります。
魚類の移動だけでなく直下の生態系に壊滅的な打撃を与える取水堰については、現状の最低の河川維持流量を変更し,藻類や水生昆虫、魚類等の正常な繁殖や成長に必要な流量確保が望まれます。特に夏季の水温上昇時や魚類の繁殖期には充分な対応が必要です。
次に丹沢に生息する魚類の利用に関する提言です。前述のように,イワナとヤマメについては,各地で移植放流が行われたため,在来の系統群が絶滅の危機に瀕しています。現況では、これらの生息エリアの保全・復元を図る必要があります。今後,近隣都県との遺伝子レベルの比較検討が必要ですが,現状の5水系について早急な保全と一部飼育下での保護増殖が急務です。
加えて,今後はその放流魚の系統や放流場所を熟慮し,在来系統群やサンショウウオ等に悪影響を及ぼさない環境配慮型の利用方法を検討する必要があります。現状では渓流魚の放流は、漁協や釣り団体だけでなく個人レベルにまで及んでいるため、全体的な統括が困難です。今後は,基本的なルール作りをはじめ、行政、専門家、研究者、漁協、釣り人,一般県民が一同に会し、渓流域の保全と利用について話し合いを行う場所が必要です。丹沢のヤマメを復活させることができれば、従来の生態系を保全・復元するだけでなく、丹沢ヤマメを地域特産物としてブランド化し、漁協などで売り出せば、利用面から見ても大きなメリットとなります。
最後に保全対策に対する組織運営への提言です。丹沢の渓流域の生物相は多様であり、必要な環境は種によって微妙に異なります。各生物群についての調査はもちろん重要ですが、これまであまり行われなかった各生物間における種間関係の調査も実施し、渓流生態系の複雑な繋がりを充分に把握する必要があります。そのためには各生物の専門家が個別に担当生物だけを分析して,対策を考えるのではなく,各専門家間で情報を交換し、意見を述べながら、渓流域の生態系として全体像をきちんと把握することが重要です。今回の丹沢大山総合調査は多くの会合やシンポジウム,共同調査などが実施され、日頃,話し合う機会のない他分野の専門家とも意見を交わすことができ、たいへん参考になりました。今後も同様の体制で取り組むことができれば、総合的な保全対策が実施できます。
6 文献
遠藤辰典・坪井潤一・岩田智也, 2006.河川工作物がイワナとアマゴの個体群存続におよぼす影響.山梨県水産技術センター事業報告書,28-35,
加地弘一,2006.河川工作物のスリット化が魚類の生息に与える影響U〜スリット化1年後の河川環境および水生生物の変化〜,山梨県水産技術センター事業報告書,13-23,
Kitano, S. & Shimazai, K., 1995. Spawning habitat and nest depth of female
Dolly Varden Salvelinus malma of different body size.Fisheries Science,
61(5): 776-779.
北野聡・岸元良輔・中村慎, 2006.治山堰堤が設置された東信地域の小渓流における魚類および両生類の生息状況,長野県環境保全研究所研究報告,2:15-22.
Morita, K. and Yamamoto, S.,2002. Effects of habitat fragmentation by damming
on the persistence of stream-dwelling charr populations.Conservation Biology,16:1318-1323.
相模湾海洋生物研究会,1997.淡水魚からみた丹沢の沢. 丹沢大山自然環境総合調査報告書,500-529.神奈川県.
Southwood T.W.E.,1961.The number of species of insect
associated with various trees. Journal of Annual Ecology 30:1-8.
勝呂尚之・中田尚宏, 1995.丹沢山塊における渓流魚の分布−T, 神奈川淡水試報告,31:67-74.
勝呂尚之・安藤隆, 1996.丹沢山塊における渓流魚の分布−U. 神奈川淡水試報告,32:37-60.
勝呂尚之・瀬能宏, 2006.神奈川県レッドデータ生物調査報告書脊椎動物編・汽水・淡水魚類, 高桑正敏・勝山輝男・木場英久編, 神奈川県立生命の星・地球博物館,
275-288.
栃本武良、1996. イワナに丸呑みにされていたハコネサンショウウオ. 兵庫陸水生物,47:36.
山崎泰・石原龍雄・梶野稔・北垣憲仁、1997. 丹沢のサンショウウオ類. 丹沢大山自然環境総合調査報告書、480-492. 神奈川県
(神奈川県水産技術センター内水面試験場、主任研究員 勝呂尚之)